【ASD】自分の中だけの価値観が強いことの困りごと

自分の価値観が強い ASDの話

わたしは専門家ではありません。
ネスケの場合(今回はネスケ父)と、私が調べた事を私なりにまとめて書いています。
参考程度にお読みください。


ネスケ
ネスケ

発達障害(ASD+ADHD)と
診断されているネスケです


ネスケ子
ネスケ子

妻のネスケ子です
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以前このブログで、『尊大型の主な特徴』として次のように書きました。

自分の中の価値観を威圧的に自己主張する言動が目立つ

自分の中だけの価値観』

そのことが原因となり、身近にいる方は辛い思いをすることは多い。

  • 価値観から外れることは排除する

  • 意見を聞いてくれない
    (他の意見は受け入れてくれない)


  • 自分の常識から外れると怒る


  • 自分の価値観を押し通す
    (価値観や意見を押し通す)

自分の価値観から外れることは、『威圧的な言動』で排除することが多い。

ASD(自閉スペクトラム症)の特性を持つ方は、『コミュニケーションの障害』というものがあります。

『自分の中だけの価値観が強い』場合は

自分の考えと違う事は聞いてくれない
(聞き入れてくれない・受け入れてくれない)

自分の考えと違うことは、「聞かない」というより、受け入れてくれない(聞き入れてくれない)から会話にならない。

こんな感じのコミュニケーションの問題が出てきます。(あくまでもわたしが感じていることです。)

  • 自分の考えを変えない部分は『融通が利かず頑固』と感じる

  • 自分だけの考えや常識を押し通す部分は『自己中心的』と感じる

以前のわたしはネスケのことを『自己中』と思っていましたが、発達障害の特性を知っていくうちに考え方や捉え方が変わってきました。

とはいえ、ムカつくことは変わりはありません。


ネスケ子
ネスケ子

今回は「尊大型かも知れないお義父さん」とネスケの場合として書いていきます。

お義父さんは検査を受けたわけでも、診断されたわけでもありません。

ただ「自分の価値観が強い」お義父さんなので、なにかの参考になればと思います。




自分の価値観が強いのは固執性が関係している?

固執性=こだわり

大人の発達障害 生きづらさへの理解と対処 (健康ライブラリー)という本では、固執性の中心となる特性として「同一性保持」と説明しています。

その傾向として、『相手の立場に立つことが苦手』とあります。

自分の価値観を持つことは大切なことですが、その価値観を相手に押しつけるのは良いとは言えない。

そして状況によっては、考えや意見を変えなければいけない場面もあると思う。

けれど、発達障害の特性として『固執性』が絡むと、自分の考えや意見を変えることが難しい。

状況や相手の気持ちなどを考えずに、自分の価値観を押し通すから問題が起きる。

ネスケは最近、固執性からの切り替えを訓練しているらしいです。

すぐに切り替えることは難しいけれど、自分の中で時間をかけ考えることと、状況などを説明されることで切り替えることができます。

咄嗟に出てくる考え(自動思考)は自分のこだわりが出て来るけれど、考えて納得することができる。



ネスケ子
ネスケ子

自分の価値観を大切にすることは、何の問題もないと思う。

その価値観を『その場の状況』『相手の状況』など関係なく押し通すことに問題が起きる。


自分の価値観や常識は世の中の常識!?

自分の価値観、自分の常識(自分のルールや、やり方)は、世界標準だと思い込んでいる

わたしが読んだ本には、上にあげたような方のことを『定点観測者』との説明がありました。
参考図書:大人の発達障害 生きづらさへの理解と対処 (健康ライブラリー)

自分の常識(自分のルールや、やり方)を破る人がいると、混乱したり、許せなかったり、周囲の人に突然怒りをぶつけることもある。とも書かれていました。

自分の価値観を押し付けるような言動によって、相手が不快になっていたとしても本人は気づかない。

なにか問題になったとしても、「相手が悪い」と思っている事が多い。

  • 自分は正しいことを言っているから相手が悪い

  • 相手が非常識だから(相手が間違っているから)相手が悪い

とにかく、『自分は悪くない』という姿勢を貫く。

問題が起こった時に、周りの人や物などに責任転嫁することも多い。

そして相手を不快にしたことには気づかない(気にしない)けれど、自分が不快にされたことは強く残ることが多いです。

ネスケ子
ネスケ子

これは本当に面倒くさいし、かなりイラッとします。

納得もできないし「理不尽だっ!」と思いますね。

でも、本人は気づかないし、逆にわたしが責められる。

とにかく、納得がいない。

大人の発達障害 生きづらさへの理解と対処 (健康ライブラリー)の中では、『定点観測者は全体と部分との関係を把握できない』とありました。

一部分だけを見て全体を見ることができない。

他にも、ネスケと言い合いをしている時、『そもそもわたしとは見ている部分がちがう』と感じることがあります。

ネスケのさらに上をいくネスケ父と接するようになり、ネスケと接する時とは全く違う困りごとを感じることになりました。

ただ、他の意見や考えを聞いた時に『自分の考えとは違う考えへの切り替えができない』ことに、本人が苦しんでいることもあります。


ネスケ子
ネスケ子

ネスケとネスケ父の違いはどんなところなのか?


旦那ネスケの場合(わたしの困りごと)

ネスケの『自分の価値観が強い』部分に、わたしは今までとても困っていた。

けれどネスケは、落ち着いた時にわたしの話を聞いてくれます。
(以前のネスケは聞き入れてくれないことも多かった。)

話を聞いてくれても再び喧嘩になる時もありますが、喧嘩にならない時は次のような時です。

  • 説明を聞いて腑に落ちた
    (ただし、説明は難しい)

  • 理由(原因)は理解できないが、ネスケ子が困っていることは理解する


  • 見えていなかった流れ(背景・状況)を理解した時

ネスケは『腑に落ちた』とわたしの話を聞いてくれますが、逆に『腑に落ちない』時は何を説明されても、受け入れることができないとも言います。

受け入れることができないというよりも、『頭に入ってこない』ので理解できない感じらしいです。

頭に入ってこないのは、「自分の考え(自分の中の価値観や常識)とは違う考えに切り替えることができない。」ことが理由だと、ネスケが言っていました。

現在のネスケは「自分には理解できないけれど、相手が自分と同じとは限らない。問題が起きる原因となったことが理解できなくても、相手が困るということは理解するようにしている。」と言います。

ネスケ
ネスケ

「なんでこのことで、ネスケ子が困るの?」って思うことは多い。

なんで困っているのか理解できないけれど、『ネスケ子が困っている』っていうことは理解するようにしている。

だからネスケ子が困っているなら、「何とかしないといけない。」と行動するようにしている。


以前のわたしなら、困ったことや、傷ついたことなどの理由を分かって欲しいと強く思っていたと思います。
(理由を分からなければ意味がないとまで思っていた。)

一番は、『わたしのことを大切に思ってくれていないんだ…。』と感じていた。

ネスケ子
ネスケ子

今のわたしは『困っているということを理解してくれる』だけで、とても嬉しい。

『何とかしよう』と行動してくれることも嬉しい。

自分の考えとは違う意見を聞いている時のネスケの様子など

  • 自分の考えと他の考えを自分に受け入れられない


    ネスケ:「例えば、自分の考えが〇の形をしているとすると、他の考えは□の形をしている。その□を、自分の〇にハマるように形を変えることができない。できたとしても、形を変えるのに時間がかかってしまう。形が違うから良く分からないし、どういうものか想像ができない。そんな感じ。」

    自分の考えとは形の違う考えが、想像ができなかったり、形を変える(しっくりする、腑に落ちる)までに時間がかかる。



  • 「なに言ってるの?」って思う

    自分の中の考え(常識)が正しいと思っているので、他の考えを聞くと「なに言ってるの?」と思う。時には「それは違う。これが普通だ。」と自信を持って言う。
    わたしは「あれ?わたしが間違っているのか…?」と、自信がなくなってくる。
    それほどに、自信満々に自分の常識を言ってきます。けれども、その常識は一般常識から外れていることが多い。

ネスケの考えとは違うことをわたしが言うと、高確率でネスケは怒る。

ネスケ子
ネスケ子

わたしはネスケとは違うやり方や、意見を言っているだけなのにな。

怒ってもないし、否定をしているわけでもないのに。

なんでネスケは怒るんだろう…。

ネスケ
ネスケ

自分とは違う意見を言われている時は、意見を否定されているとは思えない時が多い。

『俺のことを否定している』とか『攻撃されている』と、ネスケ子のことを敵認定してしまう。

攻撃には攻撃をしているんだな。って、落ち着いた時に考えたら分かるんだけど、同じようなことがあると繰り返してしまう。


旦那の父の場合

「自分の価値観、自分の常識が一般的な常識」だと思っている人と接する場合、会話が成り立たないというか、何とも言えない苛立ちを感じる。

これは、ネスケ父と接したわたしの感想です。(以前のネスケにも同じように感じていました。)

なにを言っても、自分の考えを変えずに他の意見をはねのける。

  • 自分の考えが正しいので他の意見は間違っている

  • 自分の考えを話したところで話は終わり
    (相手の意見は聞く理由がない)

  • 自分の正しい考えを相手が理解できるまで話をする

自分の考えが正しいので、「他の意見は間違った考え」とばかりに『自分の考えが正しい理由などを相手が認めるまで延々と話す。(ネスケ父と接してきたわたしが感じたこと。)

ネスケ父の考えや常識が『一般的な常識』、『納得できる考え』ならばわたしも受け入れられるとは思う。


わたしには分からなかった
ネスケ父の考え(常識)

  • 頂き物をするなとネスケ母に言う

    「食べないようなものをもらってくるな、断れ」と言う。
    「旦那が食べないからって断れっ!」と言うそうです。

    理由はその時によって違います。
    家にあるものだったり、お返しをするならもらう意味がない。などなど
    ちなみに、ネスケ父が食べないだけでネスケ母は食べたいものです。
    わたしも、ネスケ母も『気持ち』を頂いているという考えなので「断れ」というのは難しいです。
    近所の人からのおすそ分けやお土産も含まれます。


  • 人にやるために作っているんじゃない

    ネスケ父は、家庭菜園をしています。
    『家族で食べる分』を作っていると言います。
    たくさんの野菜を、ネスケ母は「近所の方におすそわけをしたい。」と思っています。
    近所の方にも頂いたりするし、外から見ればたくさんなっているのも分かりますしね。
    食べきれないほどあるし、ダメになっていくのも勿体ない。
    ですが、ネスケ父はこう言います。
    「人にやるために作っているんじゃない。食べきれなければ捨てればいいだろ。」

他にも、書ききれないほどたくさんあります。

ネスケ父の「え?なんで?」と、わたしが思う発言は多い。

『頂き物をするな』に関しては…。

ネスケ母の職場で、野菜などをもらったりすることが多いそうなんです。

ですがネスケ母は、家に持って帰ることができません。

ネスケ父
ネスケ父

何回言っても分からん奴だなっ!

いつも言っているだろっ!

もらってくるなっ!

俺がいらないんだからいらないものだ!

仕事場で貰い物をする度に、近所の人にもらった物を渡してから家に帰るそうです。

「断れ」と言われることに対して、わざわざ波風を立てるようなことをする必要はない。」と思いますが、ネスケ父にそのことを伝えても「なんでそれで困るんだ。食べない物をもらう方がおかしい。」などと言われてしまいます。

『自分が食べないものはいらない。』、『お返しをするならもらわない。』というような考えは強くある。

ここでまず不思議に思ったことは、『ネスケ母は食べる』という考えが出てこないことです。

自分の考えを突き通すために、ネスケ母が「断る」のは当然であって、断ることを人に伝えることで問題が起こるかもしれないとは考えないようです。
ネスケ母が困るということも、『なぜ困るのか分からない。俺は困らない。』

わたしはネスケ父に「それは違う。」と意見をしてきた。

けれど、わたしの意見対して100倍くらい返ってくる。

『自分の考えがどれだけ正しくて、その正しい考えを理解できないわたしのことを思って教えてくれている。』

ネスケ父の考えなどは正しいものなので、その正しい考えなどを理解できないわたしに教えてくれているんです。(相手が肯定するまで)

2年ほどそんなやり取りをしていたわたしは、意見することにも反論することにも疲れてしまいました。

「肯定も否定もしないけれど、相槌はする。」それが今のネスケ父への接し方です。

ネスケ父
ネスケ父

なにを言っているんだ(笑)

そんなわけあるか。

良いか?もう一回言うよ?

俺がこう思っているから、こうなんだ。

ネスケ子ちゃんは、分からないのか?

ネスケ子
ネスケ子

・・・。


「俺は」「俺が」が基本です。




価値観が強いことからの困りごととわたしの対応

自分の価値観が強い

自分の価値観が強いだけなら、まだ良いのかもしれません。

価値観が強いことからの困りごと

  • 自分の価値観を押し通す
    (押しつける)


  • 自信を持って他の意見を否定する

  • 価値観にこだわりがある


  • 自分の中だけの価値観を押し通すことも多い。
    押し通すことや、相手に押しつけることがほとんどです。

  • 自信を持って他の意見を否定することなんですが、「わたしが間違っている…?」と揺らぐほど。
    「俺は正しい!お前が間違っている!」と強く言われていると、『自分の考えが間違っているのかもしれない。』、『わたしがおかしいのかもしれない』と思ってしまいました。



  • 価値観にこだわりがあるというのは、そのこだわりから離れることができない(こだわりからの切り替えができない)ということに繋がります。
    他の意見を聞いていたとしても、その意見に切り替えることができない。

上手く説明ができずにモヤモヤしますが、こんな感じです。

『自分の価値観が強い』ネスケとネスケ父ですが、微妙に違います。


旦那ネスケの場合とわたしの対応

以前のネスケはネスケ父と同じように、わたしの話を聞いてくれないことが多かった。

ネスケが自分の価値観から離れられずに、わたしの意見を聞いてもくれない時は『お互いに苛立ちを感じていた』

苛立ちはお互い感じることですが、どんな感じかと言うと

ネスケ
ネスケ

なんで分かんないんだっ!

これはこういうものじゃないのかっ!

お前が間違っているだろっ!

俺が間違っているってお前は言うのかっ!


ネスケ子
ネスケ子

ねえっ!なんで分かってくれないのっ!

常識的に考えて、それは違うでしょっ!

間違っているとかじゃなくて、そもそもが違うんだって!


「そもそもそれは違う」ということを、伝えるのが難しいです。

こんな時は、物理的に離れてお互い落ち着くまで待ちます。

落ち着いた時に、一般的なことをネットなどで調べてネスケに見せることもあります。

「ネスケ子が違う」というネスケの考えを逸らすには、第三者の意見、もしくは一般的な常識を見せることが伝わりやすいということを、一緒に過ごす中で実感しています。

落ち着いた時に、ネスケ自身が気づく時もあります。

気づかない場合でも、現在のネスケは落ち着けば話を聞いてくれる。
以前よりは分かってくれることが増えました。

価値観を押しつける、押し通そうとしている時は、わたしが反発する。

なので、お互い興奮状態になります。
そんな時の、1つのルールを作っています。

『落ち着くまで離れる』

自分で気づくようになったのは、今までの経験などから『自分の常識が違っていたことが多かった。』という考えが出てきたからだと思います。



旦那の父の場合と母の対応

ネスケ父が威圧的な言動を取るのは、ほぼネスケ母にだけです。

というのも、ネスケもネスケの弟くんも、大人の男性なので威圧的な言動を取ったところで…。という感じです。

話を聞かないのは誰に対してもなので、その辺りは変わりません。

ネスケ父とネスケ母の様子は、ネスケとわたしの場合とは全く違います。


ネスケ父
ネスケ父

いつも言っているだろっ!

これはこうなんだっ!

何回言えば分かるんだっ!


ネスケ母
ネスケ母

はい…そうですね。


ネスケ母は、基本何も言いません。

何も言わないというのは、ネスケ父の考えが一般的な常識とは違っていると思っていたとしても『反論をしない』ということです。

ネスケ父は、自分の考えを一方的に威圧的にネスケ母に伝える。

反論もしないネスケ母。

ネスケ母の場合は、もともと平和主義な人で言い争いができない。(嫌いと言うより出来ない)

それでも、違うと思うことは伝えてきたそうです。

『ネスケ子ちゃん、お父さんには言っても仕方がないの。
なにを言っても理解してもらえないし、言って嫌な思いをするならわたしは何も言えない。
でも、それでわたしは良いの。』

『お父さんの良いようにする。』

それが、長年ネスケ父と過ごしてきて出した結論のようです。

発達障害の診断が出ているネスケと自分が似ていると分かっているのに、自分の言動には気づかないネスケ父。

ネスケ父は、外では威圧的な言動も取らない。

ですが、どうしてかネスケ母に対しては口調が強い。

ネスケ母のネスケ父への対応は、『何も言わない』です。

長年、威圧的な言動に接してきた結果『何も言えない』となったという言い方がしっくりくる。

ネスケ母
ネスケ母

ネスケやネスケ子ちゃんには申し訳ない。

けど、わたしはお父さんに何も言えない。



【まとめ】自分の中だけの価値観が強いと周りは辛い

ネスケとネスケ父の違いは『気づいている』か『気づいていないか』です。

これは、とても大きい。

ネスケ父は年齢的なこともあるので、今後ひどくなることあっても気づくことはないと思います。

ネスケと父の違い

  • 発達障害の特性があると「気づいている」か「気づいていない」か

  • 今までの経験から自分の考えが違うと「思える」か「思えない」か

  • 落ち着いた時に相手の話を「聞ける」か「聞けない」か

  • 自分の非を「認められる」か「認められない」か

思いついたことを書きましたが、じっくり考えればもっとあると思います。

発達障害の診断済みなネスケですが、診断されたからといってすぐに変わったわけではありません。

診断されて4年近く経った頃に、自分の特性を受け入れて対策や工夫などを考えるようになった。

ネスケ父が今から検査を受けたとしても、60年以上気づくことなく周りもネスケ父を否定することなく過ごしてきたのだから、今から変わるということは無理としか思えない。

それに70歳手前で分かっても、本人パニックになると思う。

診断されたとしても、変わるとも思えない。

わたしとネスケ母の違い

  • 旦那が発達障害と知っている
    (ネスケは診断済みなので特性を持っていると知っている)


  • 伝え方を「工夫している」か「工夫していない」か

  • 喧嘩になってもいいと思っている

そもそもが『旦那が発達障害と分かっている』ということが、一番の違いです。

ですが、本人たちもネスケ母も「ネスケとネスケ父が似ている」ということは知っている。

ネスケの特性からの困りごとを、さらに拗らせた困りごとをネスケ母は感じているはず。

世代というのもあるし、ネスケの両親が知り合った頃、結婚した頃にはもちろん『発達障害』という言葉を知っている人などいない。

一見「昭和の亭主関白」のようにも思える。

さらに、ネスケ母は言い争いや喧嘩などが嫌いな人です。

ネスケの両親は、結婚してから今まで一度も喧嘩をしたことがないと2人が話をしてくれました。

ネスケ父とネスケ母の想いとは


ネスケ父
ネスケ父

俺は言いたいことを言っている、お母さんも言いたいことはあるのかもしれない。

だけど、お母さんは何も言わないから何を思っているか分からない。

喧嘩だって俺は良いと思っている。

お互いが思っていることを言ってぶつかり合うことは必要だと思う。



ネスケ母
ネスケ母

わたしは言い争いはしたくない。

お父さんに困っていることを言っても、理解してもらえない。

強く言われると、わたしはもう何も言えない。

それにこの歳になって、今さら言い合いなんてできない。

伝え方の工夫なんて考えたこともなかったけど、今までこうやってきたんだからもういいの。

何も言わないでお父さんの良いようにするのが一番なの。

ネスケ父に対して「違う」と思うことは、ネスケに伝えてもらうようにしています。

ネスケへに対しての対策などは、今までもこれからも続けていく。

機会があれば、「お父さんが発達障害の場合(ネスケ家編)」を書いてみたいと思っています。

ネスケの場合ですが、自分の価値観が強くても

  • 落ち着いてじっくり話し合いをする
  • 伝え方を工夫する
  • 第三者の意見を聞く(伝える)

わたし達の対策、対応、工夫などを模索する日々です。

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