「それって本当に合理的なの?」って思う旦那の話

無駄が嫌いな旦那たち 発達障害の話
私は専門家ではありません。
ネスケの場合と、私の調べた事を書いています。
参考程度にお読みください。

発達障害(ASD+ADHD)と診断されている旦那ネスケの嫁のネスケ子です。

ネスケは、『無駄が嫌い』です。

 

それは、物に対してという他に

『労力』に対しても『無駄が嫌い』と、よく言います。

 

ネスケもそうですが、これはネスケ父も同じなんです。

アメブロには、書きましたが。

ネスケの通院している病院に、ネスケ両親と行った時の話。

 

ネスケのカウンセリングをしてくれている心理士さんが

ネスケ父と接して

「お父さん、ネスケさんと同じ特性を持っているね」

と、私が感じていたモヤモヤをスバっと解消してくれました。

ちなみに、アメブロに書いた

『発達障害の旦那「両親と病院へ」④』のリンクを貼っておきます。

①~④まであります。

 

今回は、ネスケと、ネスケ父の場合として

『それって本当に合理的なの?』

という内容を、書いていきます。

 

あ、ちなみにネスケ父は

「ASD(自閉症スペクトラム)」

だけの特性が強く出ていると、私は思っています。

そもそも『合理的』とは?

考えの押し付け

そもそも、合理的とは

1 道理や論理にかなっているさま。
「合理的な自然界の法則」

2 むだなく能率的であるさま。
「合理的な処置」

『合理的』の意味としては、こんな感じです。

一般的に、合理的と聞くと

「道理や論理にかなっているさま」の方を思い出しますが

(私の場合ですが)

 

今回は「無駄なく能率的である様」の意味の方を、思い出す方も多いかもしれません。

そして

ネスケと、ネスケ父は

「無駄なく能率的であるさま」という意味合いの

合理的思考の持ち主だと思う。

 

 

基本

意味のない事はしない

(無駄なことはしない)」

というネスケ。

 

「それをして何の意味があるの?」

なんていう時もある。

 

意味のない事だけど、意味がある事もある。

 

ただ、その説明ができない私です。

 

話しは戻り、合理的思考の持ち主だと思うが

「それは本当に合理的なの?」と、私が思ってしまう場面がとても多い。

ネスケや、ネスケ父からすると

無駄を省き、無駄な労力も使わず「合理的」なのかもしれない。

しかし、そのパートナであるネスケ母、ネスケ子からすると…。

今回は、この内容を書いていきます。

 

 

 

 

 

『合理的』と思う部分が違う

無駄が嫌いな旦那たち

違うと言っても、もちろん

ネスケや、ネスケ父の考え方は「合理的」な考えだと思う。

 

しかし、私や、ネスケ母の考え方も「合理的」だと思う。

 

両方とも

「目的を達成するために最適な方法を選んでいる」

そう思うが…。

 

 

ネスケと、ネスケ父の「合理的」というのは

『無駄な労力を使わない』

これね、確かに私から見ても

「無駄な労力を使ってはいない」と思いますよ。

 

ただ、二人の無駄な労力を使わない方法が、納得がいかない部分がある。

これについては、後程書いていきます。

 

そして、私と、ネスケ母の「合理的」とは

『無駄な時間は使わない』

これもね、「合理的」だと思います。

 

まあ、自分の考えなので当たり前なんですが。

こう見ると

『合理的』の意味の

「むだなく能率的」の部分だけでも

両方の考え方が違うので、必然的にどちらかに不満が出てくるわけです。

 

どちらかというより、両方に不満が出ますね。

「無駄」と感じる部分が違うわけですからね。

 

 

 

 

「無駄な労力」とはどういう事か

旦那たちが思う合理的

ネスケ親子の考える

「無駄な労力」というのは

「わざわざ出かけるのが嫌」という事が、一番言っている事ですね。

 

「何かのついでに…。」

 

何か出かけなければいけない用事があったとして

今日、時間があったとしても、明日出かける用事があるから「明日でいい」。

 

これって、まあ「合理的」。

もともと、マイペースな2人。

 

基本、やりたい時にやる。

 

なので、時間があったとしても

「わざわざ一つの用事の事で出かけるのは嫌」と、考えています。

 

この「嫌」って、本当に心からの「嫌」ですからね。

「そんな無駄なことするな」

これ良くネスケ父が言っている。

ネスケ父は、物に対しても『無駄にするな』と、かなり言うので、ネスケ母が不燃物のゴミを持って行ってくれると言ってくれるんだけど、本当は持って行ってほしいが、ネスケ父に見られたらと思うと、頼めない。

 

なので、今日、時間があったとしても、明日出かける用事があるから「明日でいい」。

 

という事で言うと、今日は何の予定もないけれど、用事は明日済ませる。

まあ、普通に「合理的」だと思いますよ。

 

今日も、明日も出かけるという、「労力」を無駄に使わないという事ですから。

ただ、これも問題が出てくるんですよね。

後程、説明します。

 

 

 

 

 

「無駄な時間は使わない」とは

嫁たちの考える合理的

これは、私と、ネスケ母の場合という事ですが。

出かける用事がある。

けれど、明日も出かける用事がある。

 

ネスケ親子と違う所と言うのは

「今日、時間があるから、その時間で出かけて用事を済ませる」

これ、一見「二度手間で無駄じゃない?」と、思いますが

『空いている時間が無駄にしない』という考えと

明日、その後という

先の事を考えた結果。

 

今日の空いている時間を有効に使う、という考えになるわけです。

 

今日、空いている時間に用事を済ませたら、明日の予定に余裕が出来る。などなど

今だけの事を考えるのではなく

その先の事も考えて行動しています。

 

なので、この考えもまた「合理的」となるわけです。

 

 

 

 

 

どうして「合理的」と嫁が思わないか(問題になるか)

考えの押し付け

もちろん「合理的」に対しての考えの違いから『問題』が出てくるのは、当然と言えば当然なのです。

ここで、説明しますと。

ネスケと、ネスケ父が「無駄な労力」を使わない時。

大体が、私や、お義母さんが『労力を使っている』という事が、問題へと(不満が出てくる)繋がるわけです。

どういう事か、私とネスケの場合で説明します。

 

 


去年の話になりますが

仕事の帰りに、私の実家に寄った時があります。

ちなみに、私の実家は、自宅から車で30分ほどの場所にあります。

仕事先からだと、20分弱かな?

そして、実家に寄って帰るという事は、帰宅時間も遅くなる。

そんな実家からの帰り道

合理的なの?1

郵便局からの不在票が入っていたとの事で

「帰りに郵便局に寄って荷物を持ってきて欲しい」

と、ネスケから電話が来たんです。

でも、この時すでに、ネスケは家に帰ってきていました。

私は、実家を出たばかり

その上、郵便局まで行くには、道が全く違うんです。

 

その受け取る荷物も、今日中に必要な物だと言うんです。

 

そのネスケのお願いに対して、私は多少もやもやとする気持ちはありましたが、言い合いになるのが嫌だったので、「分かった。」と言い電話を切りました。

合理的なの?2

なぜ、もやもやしたか?

それは、私が帰宅してからネスケの手伝いをする、という事になっていたからです。

 

そして、その荷物も私が帰宅してから必要な物。

そのネスケの手伝いが終わってから、夕飯の準備をするんです。

ここまでで、何か思う事はありますか?

 

ネスケ子が思う「合理的」な行動

私が帰宅してから、ネスケの手伝いをするという事は、私の帰宅が遅くなれば、なるほどに、時間が押すという事なんです。

なので、先に帰宅しているネスケが荷物を取りに行っていたら、私が帰宅してすぐに行動ができる。

しかも、ネスケ副業で行っている仕事は、時間が【期限が)決まっている。

という事は?

早く行動した方が良いという事なんです。

ネスケ子の考えでは

『時間が決まっている事なら、時間を有効的に、優先的に考える事が合理的』

ですが、ネスケの

「無駄な労力を使わない」という、(ネスケ的)合理的思考が強いので。

 

『ネスケ子が出かけているから、そのついでに荷物を取りに行くことが合理的』

 

●ここで、ネスケ子が思う事

ネスケの考えは(合理的思考では)

『その時』しかない。という事を私は言いたい。

先の事が含まれていないので

結果「それって合理的なの?」という思いが私の中に出てきます。

 

これは

「想像する事が苦手」➡ASDの特性

「順序立てて作業を行うのが苦手」➡ADHDの特性

これが、ネスケの場合の「合理的」に繋がります。

 

”目先の問題だけを見て、先の見通しが立てられないという事になります。”

 

 

 

 

 

 

「合理的」についての問題がもう1つ

考えの押し付け

ネスケや、ネスケ父が「合理的」だと思っている行動をするのは、本当に構わないんです。

それで、良いと思っています。

ただ…。

その「合理的思考」から来る行動を、私とネスケ母に押し付けてくる。

 

これが、困っている事なんです。

「何かのついでに用事を済ませる」

 

これは、ネスケとネスケ父の考えですが

先に説明している通り、私と、ネスケ母は、ネスケ親子とは

「違う考え」を持っています。

 

しかし、私が今日必要な物を買いに出かけようとすると

「それだけ買いに行くの?明日、仕事の帰りに買いに行けばいいじゃん。

俺、わざわざ出かけるのって本当に嫌なんだよ」

 

 

いや、ネスケが嫌なら、ネスケはそうすればいいと思いますよ?

 

ただ、その考えを私に押し付けるのはどうなんでしょう?

なので、ここが問題となり

喧嘩になる時もあります。

 

ネスケが「無駄」と思っている事を、私がする事も嫌なんですよね。

しかし、私は「今日必要」とも、伝えています。

 

それでも

今日必要と分かっていても、1つの用事の為にわざわざ出かけるという行動が

「無駄」という考えが固執しているネスケ。

 

その、「無駄な行動」を近くに居る人がするのもダメなんですよね。

ダメというか、自分が間違っていると思う行動を「気持ち悪い」という感じる。

この言い方の方が、しっくりくるかな?

 

この、考えを押し付けるというのは、ネスケとの生活で多々ある事です。

違和感を感じていましたが、ネスケ母と話をしていた時に

ネスケ父もそうだという事がわかりました。

 

『自分ルールを押し付ける』

これは、強いこだわりだとは思います。

 

たぶん、身近な人にもそのルールをして欲しいという感じなのだとも思います。

 

しかし…。

ネスケも良く言いますが

『人それぞれ』なんですよね。

 

『道理や論理にかなっているさま』といった、「合理的」な事ならば

(筋が通っていて明らかに合理的な事なら)

「その方がいいね!」と、取り入れると思いますし、取り入れています。

 

「ただ、俺はこうしたい!」

と言った考えを、人に押し付けるのは

やはり、受け入れるのが難しいです。

 

そして、ネスケと、ネスケ父の「合理的」な行動は

『今だけの事』

『相手がなく自分の事だけ』

 

自分は、無駄な行動をしていない。

 

けど、その代わりに動いている(動かされている)私とネスケ母がいるという事を、頭に入れておいて欲しいと思う。

 

そして、今だけの事を考えて、先の事を考えていないので。

今日、時間があるけど、明日出かける時に用事を済ませる。

 

だいたい、こういう時

その用事を済ませる事によって、時間がなくなったり、結局用事が済ませられなかったりすることが多いんですよね。

 

そして、自分に腹を立ててイライラする。

「なんで、俺はいつもこうなんだ」

悪循環です。