「ずるい」とよく言っていた発達障害の旦那の話

「ずるい」が口癖な発達障害の旦那 発達障害の話
私は専門家ではありません。
ネスケの場合と、私の調べた事を私なりにまとめて書いています。
参考程度にお読みください。
 
 
以前ですね。
『「俺ばっか!」旦那は、なぜ俺ばっかり!」と思うのか?』という記事を書いたのですが。
 
 
 
今回は、『ずるい』と良く言う旦那ネスケの事を書きたいと思います。
最近は言わなくなりましたが、少し前のネスケは『ずるい』と良く言っていました。
 
そりゃ~もう言っていました。
 
口癖のように「ずるい」と、良く言っていました。
 
 
「俺ばっかり!」と言うのは
 
・視野が狭い
・自分の事を客観的に見る事ができない
このASDの特性から来ていると、私は感じているのですが。
 
なら、「ずるい」を口癖のように言うのは?
 
という事で、「ずるい」と良く言う人の心理を調べてみました。
 
一般的に言われている「ずるい」と良く言う人の心理が、発達障害の特性ではどのように関わってくるのかをちょっと見てみます。
ただ、発達障害の方の例としては調べる事ができなかったので、少しこじつけな部分も多いかと思います。
 
 
ネスケの通院する病院の心理士さんに聞いたところ
 
『多様性と言う曖昧な事が分からない』という返答がありました。
 
「ずるい」と良く言うのは、ネスケだけかもしれませんが💦
 
 
『発達障害 ずるい』というワードで検索すると、発達障害の人に対しての「ずるい」は検索できたのですが、当事者の方が「ずるい」と良く言っているものが私には検索できなかった…。
 
なので、当事者の方に対しての「ずるい」も少し書くかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 

「ずるい」が口癖の人の心理

発達障害の特性などは関係なく

「ずるい」と良く言う人の心理を調べてみた。

まずは「ずるい」の意味から

 

「ずるい」意味

自分の利益を得たりするために、要領よく振る舞うさま。また、そういう性質であるさま。悪賢い。こすい。

出典元:goo国語辞書

「ずるい」の意味は、こんな感じ。

次に、「ずるい」と良く言う人(「ずるい」が口癖の人)の一般的に言われている心理について少し調べてみましたので、書いていきます。

◎「ずるい」と良く言う人の心理は?

・相手が優遇されていると思う

・自分にはできない方法で自分の願望を相手がかなえていると思う。

・「ずるい」という言葉で自分を正当化したい。

・相手を羨ましいと思っている。

・みんな平等だと思っている。
(公平であるべきと思っている。)


etc…。

 
ざざっと調べてみると、これらが出てきます。
 
 
私が「ずるい」という言葉の意味を思い浮かべると
 
・相手が努力しないで良い思いをしたと思っている。
 
こう思っている人が「ずるい」と言うイメージがあります。
 
 
そして他にも「ずるい」という人は、『努力していない人』という印象を私は持っています。
 
そういう人に限って「ずるい」という気がする。
 
あくまでもこれは、私が思っている事なので確かな事ではありません。
 
 
ここで、ネスケが言う「ずるい」の心理としては
ネスケの言う「ずるい」

・相手が優遇されていると思う。
・みんな平等だと思っている。

この2つだと思うんです。
(たぶん)
 
 
次に、ネスケの場合ですが
この2つに特性が絡んでいるのか、私なりに書いてみたいと思います。
(こじつけの部分も出てくるかもしれません)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「ずるい」と言うのに特性は絡んでいるのか?

 

私の周りには、ネスケくらい「ずるい」を言う人がいないので、余計にネスケの言う「ずるい」が目立ってしまうのかもしれません。(たぶん)

それと、「ずるい」と言うのは子供が良く使うというイメージすら私の中にはある。

実際、子供の頃の私は「ずるい」という言葉を今よりは使っていたと思う。

『ずるい』と良く言う人を調べている時に、こんな記事を見つけました。

"あいつはズルい"の嫉妬が止まらないワケ 「脳の発作」で子どもに戻っている
自分よりもデキない同僚が仕事を任されている。おかげでイライラして仕事が手に付かない――。なぜこうした状況に陥るのか。心理カンセラーの大嶋信頼氏は「それは脳が『嫉妬の発作』を起こして、幼稚園児が駄々をこねた状態になっているからだ」という。嫉妬...

”自分よりもデキない同僚が仕事を任されている。おかげでイライラして仕事が手に付かない――。なぜこうした状況に陥るのか。心理カンセラーの大嶋信頼氏は「それは脳が『嫉妬の発作』を起こして、幼稚園児が駄々をこねた状態になっているからだ」という。嫉妬心から解放されるために効果的な方法とは――。 ”

出典:president online

この記事を興味深く、「面白いな~」と思いつつ読んでいました。

 

 

 

今では「ずるい」と言う言葉を、ほとんど使う事がなくなったネスケ。

そして、今のネスケは自分の特性に気づきがあり、自分なりに自分の言動を気をつける事をしている。

気をつけるというか、「こういうところか…。」というような気づき。

 

その頃から「ずるい」という事も減っていった。

なので、「ずるい」というのも何かしらの特性からなのかな?なんて勝手に思っていた。

 

 

 

 

 

相手が優遇されていると思う(ネスケの場合)

 

これ、私がネスケに良く言われる「ずるい」なんですけど。

ネスケから見ると、私は飲食店や買い物に行ったお店などで優遇されているらしいです。

そう思っているネスケが私に対して「ずるい」と言う事が多々あります。

ただそれには、ちゃんとした背景があります。

私が良く行く定食屋さんでのオマケだったり、友達が働いている飲食店でのオマケ。

ネスケも一緒に行く事はありますが、私が1人で行く時にオマケしてくれています。

ですが、ネスケが一緒にいる時にはそのオマケがない事が「ずるい」となるようでして…。

オマケなどをしてもらった話を「俺に言わないで」とネスケは言います。
ムカつくからだそうです。

ですが、この場合の「ずるい」は、私からすると当然というか「ずるい」ではないと思います。

ただ、他の事で言うと

ネスケが努力をした事などを、他の人が努力せずに達成した事などが「ずるい」という事に繋がるという事もあります。

ネスケは自身の努力は分かりますが、ネスケに他の人がどう努力したかというのは分かりません。
この場合は、ネスケだけではなく、他の誰でも知らずにしている努力などは分かりませんが、『したであろう努力』は察する事は出来ます。
 
 
それと、ネスケは特性などから人一倍努力しなければならない事があるために、そう思うのかもしれません。
 
ネスケが人一倍努力した事も、他の人は努力せずに達成する事ができる事が多々あり、『自分はこんなに頑張ったのに、あの人は努力しないで達成できた』などなど…。
 
 
ただ、努力というものも何かの基準があるわけではありません。
 
ネスケが人一倍努力したとしても、他の人から見ると
 
『ネスケは、すごい頑張ったなっ!すごい努力したな!』と思う人もいれば
 
 
『ネスケはあれくらいの事を努力したと言っているのか』と、思う人もいるのです。』
 
 
人それぞれ「努力」の基準は違います。
 
曖昧なものなのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

みんな平等だと思っている(ネスケの場合)

ネスケは、次の言葉をよく言います。

『みんな平等じゃないの?』

これは、みんな平等であるべきだと、ネスケは考えている様なのです。

心理士さんに、この事を尋ねた時に

『多様性という曖昧なことが分からない』という事でした。

『平等』とは、偏りがなく差別がないこと。という意味ですが…。

実際には、全てが平等という事は難しいとは思いませんか?

状況・背景などで『平等』というものは、難しい事です。

発達障害の特徴として、「状況・背景を考える事が難しい」という事が多く説明されています。

ネスケの場合は、どこかでは「平等」は難しい。とは、思っているようですが、どうしても平等だという考えになるらしいです。

人それぞれ能力は違います。

会社では能力によって、昇進、昇給する事があります。

ネスケが時々言うのですが、ネスケの会社の部署が違う人が同じ給料だという事が納得できないと。

もちろん、ネスケとは部署が違うので、仕事内容も違います。

ネスケの部署での業務内容より、その方の部署の業務内容を見て同じ給料なのが納得できないというのです。

ネスケからの話を聞いているだけでは、確かに納得できない部分もあるかとは思いますが、給与は会社が決める事なので、勤続年数によって変わるかもしれないし、その辺は致し方ないのかな?とも私は思えますが。

それが、納得できない=「ずるい」

になるのです。

『給料が変わらないなら、俺がおそこに異動したい』くらいな事も言う時もあります。

私は、『社会に出るという事は、ある程度の理不尽を受け入れる事』だと考えているので、不満はあるかもしれませんが、受け入れると思います。

なので、この事に関して「ずるい」と憤慨しているネスケの話を「うんうん」と流す感じで聞いているのが正直なところです。

興奮して話をしているネスケに同意を求められますが、私の返答はネスケには不満のようです。

給与の事で「平等」であるべきなら、共産主義という事なのか?

もし、ネスケが共産主義の国に舞い降りたとしても、今度は「俺はこんなに頑張っているのに」となると思う。

ただ、「平等」というものを突き詰めていくと、本当に難しい。と、今私はおもっています。

ある事には「平等」であるべきとは思うけれど、ある事には「平等」は難しいと思う。

なので、発達障害の方には難しいとされる『臨機応変な柔軟な考え』が必要なのだと思いました。

ちなみに、平等であるべきというならば、家事も平等にすることになりますね(笑)

上を見ても下を見てもキリがないです。

ネスケからしたら「ずるい」と思う人も、その人から見たらネスケが「ずるい」と思われているかもしれません。

平等でありたいと思っても、平等ではないですから。

その平等の基準だって人が決める曖昧なものです。

 

 

 

発達障害の方は「ずるい」と思われる?

これは、「ずるい」が口癖のネスケの事を調べる為に

『発達障害 ずるい』で検索したところ。

発達障害の方が「ずるい」と言うのではなく、「ずるい」と言われているという内容のものが多くでてきたんです。

ここで、私が仕事で見かけた話をします。

ある高校の教師が、1人の生徒の保護者に言われた事から始まります。

簡単に説明します。

「うちの子どもは発達障害なので配慮してほしい、けれど他の生徒には知らせないでほしい。」

この時から、その教師はその生徒に対して配慮するようになります。

けれど、その様子を見ていた他の生徒から不満が出ます。

こういう話は、この場合だけではなく、少し検索しただけで沢山出てきました。

この話の場合は、他の生徒はその1人の生徒が『発達障害』という事を知らないから起きた事だと思います。

ですが、『発達障害』という事が分かっていても、『えこひいき』と捉える人も『ずるい』という人もいるのが現実なようです。

『合理的配慮』が『不公平(不平等)』と考える人が多くいるとも書いてあるサイトもありました。

学校だけではなく、これは職場でもです。

 

学習障害(LD)のある子どもが、タブレットを使い授業を受けるという話もよく聞きます。

あるいは、授業での配慮などを『えこひいき』、『ずるい』と思いが出てくる場合もあります。

でも今では、1人1台タブレットが全国98%の自治体で整備されているとの事なので、この問題はないのかな?

大人の方でも本当に理解している方が少ない『発達障害』。

しかも、見た目では分からない障害です。

「理解して」というのも難しいのかもしれません。

現在、教育現場では『インクルーシブ教育』実現のためと、基礎的環境整備と合理的配慮、全体に対する配慮と個別の配慮として支援していくなど…。という感じらしいです。

インクルーシブ教育とは、「障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」。

ちょっと、ここに書くには長くなってしまうので、インクルーシブ教育について書かれているサイトのリンクを貼りつけておきます。

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私は視力が悪いので、眼鏡(コンタクトレンズ)が必要です。

これは、受け入れられますよね?

中学生の頃からなので、学生の頃から眼鏡をしようしておりますが、クラスメイトから「ずるい」なんて言われた事はありません。

その頃、足が不自由なクラスメイトもいました。

その子が、補助的なものを足につけていても「ずるい」なんていう人はいませんでした。

これは、他の人には必要がない物だったから「ずるい」と言われる事がなかったのかな?

配慮の仕方というのは難しいと思います。

特に学校での配慮ですよね。

合理的配慮について書かれいているサイトのリンクを貼っておきます。

合理的配慮はずるいのか?「先生はえこひいきしてる!」発達障害がある子への配慮をうまく説明できなくて【LITALICO発達ナビ】
私は3年前まで学習塾で指導をしていました。小学生2年生を担当していたとき、おそらく学習障害があると思われる生徒に特別メニューで課題を与えていました。

 

 

 
 
 

まとめ

発達障害の旦那客観的に見れない

 

「ずるい」と良くいう事が、発達障害の特性と関係あるのかはわかりませんが。

もし、関係あるならこういう所なのかな?という事を書いてみました。

機会があったら、ゆっくりと調べてみたいと思います。

ただ…。

「ずるい」という言葉は、あまり聞きたくないな~と私は思っています。

ネスケは、今では言わなくはなりましたけど、一時期は本当に口癖のように「あの人はずるい」など言っていました。

その時の事は、『「俺ばっか!」旦那は、なぜ俺ばっかり!」と思うのか?』という記事にも書いてあります。

 

 
「俺っばかり」は、少しは減りましたが、少しは今でも言います(笑)
 
 
「特性」から、直球も変化球になってしまう時が多々ありますが。
すぐに分からなくても、工夫をしたり、時間をかけたりと説明の仕方などで、変化球から直球として受け止める事ができます。
 
ずっと、変化球として受け取るわけでもないと思います。
実際ネスケの場合は、そんな感じです。
 
しかし、ネスケ父は?というと、もう70年近く何の気づきもないまま過ごしてきたので、直球は変化球のままです。
 
早い段階で、「気づき」があると、その後の生活も変わっていくのだと思います。
 
当事者も、身近な人も。