※令和3年11月編集
これは、私の書いた記事のどれを読んでも書いてあるかもしれません。
結論から言うと「早く分かった方が良い」と私は思っています。
旦那が『発達障害』を知った後の様子
旦那ネスケは、29歳の時に検査を受けて、30歳の時に「発達障害のASD、ADHD」と診断されました。
検査を受けたのは、本人が薄々そう思っていたという事と、ネスケと日々暮らしていて私が感じた事がきっかけとなりました。
(一番は私の母に「ネスケちゃんなんか違う」と言われた事かも知れない。)
診断された当時は、ネスケの情緒不安定はかなりやばかったです。
「知らなければよかった」
「検査結果は、間違いなんじゃないか」
「どうせ、俺なんて死んだ方が良いんだ」
それは、それは、大変な毎日でした。
仕事で、何かあると
「俺が発達障害だからいけないんだ」
「俺なんて…。」
最初は、自分の存在を責めていました。
この時は『二次障害』が起きていたので「死にたい…。」という時もありました。
その次は、自分が知らない間に周りの人に、嫌な思いをさせてきたのでは?
と考えるようになり何か月かしたら、少しずつ受け入れられるように。
今では、自分が苦手な事をどうすればよいか?
など、前向きになってきています。
●診断当時は
「知らなければ良かった。」
●受け入れてからは
「もっと早く知りたかった。」
もっと早く知りたかったというのは。
『早く発達障害という事を知る事によって、早い段階で『工夫・対策』などが出来て生き方も変わっていたのではないか?』
と、考えるようになったからです。
仕事で言えば、マニュアル化、ルーティン化できるものは進んでやるように。
苦手な仕事は、得意な人に任せるという事をしているようです。
(これはこれで、問題となってしまいますが💦)
他にも『相手が悪い』という風に思ってしまう時にも、『自分が何か間違っているのではないか?』と、一旦考える事もするようになったり。
今までは、苦手なものを苦手のままやっていて、人一倍時間をかけて上手くいかない事が多々あったのですが今は、自分にできる事を進んでやっています。
(『努力しても出来ないという事は』自己肯定感をさらに下げる事になっていた。「こんなに頑張っているのになんで間違えるんだ。」と、自分に対して怒りがあった。)
ネスケは努力家なので、苦手な事などに対して人一倍努力してきました。
『できないのは、自分の努力が足りないからだ。』
そう思って努力しても、やっぱり出来なかった。
そこから自己肯定感がとても低くなった。
ですが、発達障害と診断された事により
『努力してもできなかったのは、発達障害だったから。(特性により難しかった事)』
と、少し気持ちが楽になったとも言っています。
そして、対策できる事は対策をして、工夫できることなどもするようになった今は?
『もっと早く分かっていれば、できる事が今以上に増えたのではないか?』
『学生時代も、もっと楽しく過ごせたのではないか?』
(学生時代のネスケは、周りと違う事に違和感を感じ、周りの同級生と同じようにできない事を悩んで苦しんでいた。)
「発達障害」という事を受け入れてからのネスケは、以前とは違ってきています。
発達障害と知る前は、(特に喧嘩の時)私の言葉に耳を傾けずに、自分の考えだけを興奮して話していました。
今は、難しいですが私の話に耳を貸してくれます。
(聞いてくれているとは言わない)
児童期の発達障害の現状とは?
近年の児童期の発達障害の事を少し調べてみました。
ADHDは、児童期の全体の5~10%程度という見解が一般的らしいです。
男女比としては、男子の割合が多く小児のADHDの60~80%が成人期に移行するという
報告がされているらしいです。
そして、ASDは、1000人に5人程度でやはりこちらも男子が多いようです。
いろいろな記事などを読んで分かる事は、幼児期から適切な教育をすることが、とても重要という事が分かります。
近年、テレビなどで発達障害の特集を見かける事も多くなりました。
そして、幼少期など『早期発見・早期療育』という事も言われているというか、そういう働きかけがされているらしいです。
『通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育支援を必要とする児童生徒に関する調査結果』によると、通常学級に在籍する発達障害の可能性のある児童の割合は6.5%とあります。学習面で著しい困難を見せる児童の割合が4.5%とあります。
質問項目に対して担任教員が回答した内容から、知的発達に遅れはないものの学習面
又は行動面で著しい困難を示すとされた児童生徒の割合です。
現在では、このようなデータがありますが、ネスケが幼少期には「発達障害」という言葉を目にする事も、耳にする事もありませんでした。
1980年代後半では、まだ精神科の医師の中の大半が「アスペルガー症候群」を耳にした事がないという感じだったらしいです。
2015年に、※発達障害支援法が執行されたという事もあり医療関係者、教育関係者に発達障害が多く知られることに。
(※厚生省のリンクを貼っておきます。)
発達障害支援法が執行されたことにより
保育園、幼稚園、小学校のうちから、発達障害の可能性のある事が分かり、医療機関などを勧められるという事が多くなったようです。
小さい頃から、発達障害という事が分かれば、本人のみならずサポートする側の知識も深まり、対応する術も増えていくことかと思います。
小学校に進学する時に…。
保育園、幼稚園を経て小学校へ進学するときに、発達障害のお子さんを持つ多くの親御さんは
悩むことになると思います。
現在では、※通級による指導があります。
※通級による指導とは:日本の義務教育における特別支援教育の制度の一つで、
通常の学級に在籍していながら個別的な特別支援教育を受けることの出来る制度である。
出典元:Wikipedia
文科省の通級による指導の参考資料のリンクを貼っておきます。
通級による指導の現状
この参考資料は、平成31年2月に発表されているようですが、平成19年から比べると平成29年には2.4倍に増えている事が分かります。
ちなみに、特別支援学校ですが私の住む県では「発達障害児」は対象とならず、入学することはできません。
これは、都道府県により違うようなのですが…。
進学による悩みも増えるかもしれませんが、やはり、発達障害という事に早く気づくということは
とても大切な事だと思います。
発達障害という事を早く知る事によって…。
ネスケが思う事を載せたいと思います。
『上手くいかない事が多くあると
そこからどんどん荒んでいく。
上手くいかなかった事や、嫌な思いをした事は、良い思い出より強く残っている。(普通の人より)
そんな事が続くと、自分を出せなくなってくる。
今、発達障害という事を知って工夫する事や、苦手な事は苦手と割り切る事が出来た。
もっと、早く知っていれば、もっと生きやすかったかもしれない。』
本人は、もっと早く知りたかったと心から思っています。
けれど、それは親を責めることになるからあまり口に出しては言えないそうです。
ネスケ母の話を聞く限り、小さい頃からネスケは変わっていたと感じていたそうです。
ですが、それはネスケの『個性』だと思うようにしていたと話してくれました。
早く分かる事により、人との接し方にも工夫する事ができます。
発達障害支援センターという所がありますが、ここでは検査や診察、相談などができます。
ネスケも、自分の地域の発達障害センターに通っていました。
その他に、心療内科にも通院しています。
お住いの地域の発達障害支援センターに相談してみるのもいいかもしれません。
発達障害支援センターは、お子さんが多いのですが大人の方も相談できます。
今では、早い段階で発達障害と気づくことが出来るのですが、私の知り合いに就学時健康診断で「発達障害」の疑いを指摘された方がいます。
旦那さんの方が、それを受け入れずに文句を言いに行ったという強者がいます。
保護者の方が「障害」という言葉に、拒否感を感じるというのは分かる気がしますが、お子さんの将来の事を考えると、その「障害」を受け入れてほしいと、私は思います。
それは、ネスケを傍で見ていて思う事です。
ネスケ母は、たぶんまだ受け入れる事ができないと思います。
ネスケ父は、「発達障害」の事を知ろうとしていますが、ネスケ母は未だに「病気」と言います。
本も見てはくれませんし、話もちゃんと聞いてはくれません。
そんな姿を見ていて、ネスケは母に何も話そうとしなくなり、会う機会も減っていきました。
受け入れて貰えないのは、自分が障害だからとネスケが思ってしまうのと、ネスケ母が自分のせいだと思ってほしくはないと思っているからです。
私は、そんな二人を見ていて少し悲しいです。
サポート側(妻の立場から)思う事は
私は、ネスケが発達障害という事を知ることが出来て良かったと思っています。
私の感じていた困り事が、発達障害の特性という事を知った事が私の気持ちを軽くしてくれました。
それは、ぶれることなく「お前が悪い。」と、ネスケに言われる事も少なくなかったからですね。
ですが、私が自分自身を責めてしまうようなネスケの言動が「特性」から来るものだと知った事から、私自身を責める事も少なくなり、ネスケの事を責める事も少なくなりました。
(全く責めないわけではないです💦)
発達障害の特性を持っている方や、疑いのある方がパートナーだと、発達障害という事を分かって欲しいと思うと思います。
ですが、検査を拒否したり、発達障害の疑いを言っただけで怒る方などいると思います。
あとは、年齢的な事で「今さら分かっても」という方など…。
そこはとても難しいと思います。
発達障害関連のサイトにも、「検査を勧めてはいけない。」など書いてある。
それに、本人が困り事を感じていない場合「発達障害」の検査を受けられない事もあったりするみたいです。診断もおりない場合もある。
いろいろと難しいですが、本人に自覚がない場合が多いみたいなのでもやもやしかないと思います。
本人が困り事を感じていない場合でも、身近な人が自分の言動が原因で困っているという事には気づいて欲しいと思います。
ネスケの場合で言うと、私がネスケの言動により困っているという事を説明しても、「それでなんでネスケ子が困るの?」と、言われた時もあります。
発達障害であるネスケと仲良く過ごす方法を、ずっと模索している私ですが。
ネスケが発達障害の特性を自覚したという事と、私が特性を理解してネスケへの対応を考えた事、そして第三者の意見として同じ心理士さんのカウンセリングを受けているという事が、私とネスケの生活の改善へと繋がりました。
ハッキリ言って、ネスケが自覚してくれなければ今のように暮らすことは無理だったかもしれません。
そして、私がネスケの言動に対して怒っているだけ(ムカついているだけ)、ネスケが変われば上手くいくと思っていただけでも無理だったと思います。
ネスケだけが変われば仲良く過ごせるわけではなかった。
私自身もまた考え方、捉え方を変えなければいけなかったと思います。
それは、今までの失敗というかネスケに対して怒っていただけだった。という日々があったから思える事だとも思います。
ネスケだけが変われば上手くいくと思っていた私。
その私の思うように変わらなかった、対応してくれなかったネスケとの生活が、私をカサンドラ症候群のような状態にさせていたのだと今は思えます。
ネスケとの生活を変えたいのに、ネスケは何も考えてくれない!って思っていたんです。
その考えは私自身を追い詰めていたし、ネスケの事も追い詰めていた。
結局、早く分かった方が良いとは思いますが。
発達障害と分かったとしても、当事者であろう方、身近にいる方もまた色々な意味で理解をしないと何も変わらないという事だと思います。
発達障害であろう方と接している場合、カサンドラ症候群になってしまう事があります。
カサンドラ症候群は、正式な病名ではありません。
発達障害のパートナー(配偶者や恋人など)がなると言われているカサンドラ症候群ですが、パートナーだけではなく、家族・職場の方などもなるようです。
例えば、親、上司、部下、同僚に『尊大型』や『積極奇異型』タイプの発達障害の方がいるとしたら、接しているうちに自分自身が辛いという気持ちになる事が多いかもしれません。
『受動型』や『孤立型』タイプの方と接していると、虚しい気持ちや、悲しい気持ちになるかもしれません。
発達障害であろう方の傾向などを知る事、接し方などを知る事が大切なのかなと、サポート側としては思います。
ただ『こうなんだ!』と、特性などから決めつける事はお互いにとっても良くない事だと感じています。